朝鮮出兵と文禄・慶長の役:敗因は秀吉?結果的に失敗して良かったと思う

2017年11月17日

暮らし

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学校の日本史の授業では、豊臣秀吉による朝鮮出兵、あるいは文禄・慶長の役という用語が出てきます。

授業では詳細なことは触れないので、単なる歴史的事実として覚えるくらい。

今回は豊臣秀吉の朝鮮出兵について、気になったことなどを書いておきます。

朝鮮出兵と文禄・慶長の役

朝鮮出兵は負け戦というイメージ

最近の大河ドラマでは「軍師官兵衛」、「真田丸」でも朝鮮出兵のシーンがありましたが、困難な戦いで思うようにいっていない印象を受けました。

秀吉が寿命で亡くなると兵を引き上げるのですが、たいした成果はあげられず、まるで負け戦のようなイメージです。これまでしっかりとした資料などは見たことがなかったので、wikiを中心にザッと見てみました。


文禄の役

日本を統一した豊臣秀吉は海外へと目を向け、まず明を標的にします。

当時、朝鮮半島を統治していた李氏朝鮮には、道案内役や支援を要請するのですが、朝鮮はこれを拒否。秀吉は朝鮮半島を制圧しつつ、明へ侵攻する手段を選びます。


1592年4月。日本軍は九州北部から対馬、そして朝鮮半島の釜山へ上陸。釜山周辺を一掃し拠点を作ると、戦線を押し上げていきます。結果、1ヶ月もかからず、当時の首都・漢城府が陥落。


ここでいったん作戦を練り直し、誰がどこへ攻めるか、8つの部隊に担当エリアを設定、各部隊が制圧範囲を広げていきます。

李氏朝鮮の国王は北へ北へと逃げ延びていましたが、日本の部隊が現在の北朝鮮の首都・平壌まで押し寄せると、明に援軍を要請。


こうして明も参戦し、明軍が日本軍を押し返し始めますが、漢城郊外で待ち受ける日本軍と明軍が激突。戦死者を多数出した明は兵を下げ、お互い兵糧が尽きていたこともあり、日本と明で講和交渉を開始。日本軍は釜山まで、明軍は開城まで後退するなど、取り決めをして休戦となりました。


慶長の役

外交で明を服従させるのは難しく、1597年、秀吉は2度目の遠征を決断します。まずは朝鮮半島南部を制圧し、日本式の城郭群を築かせ、万全の体制を持って明へ侵攻する方針。

当初の予定通り、明・朝鮮軍を敗走させ、築城にとりかかります。ここで思わぬ事態が・・・。

そう、翌1598年に豊臣秀吉が亡くなってしまうのです。

秀吉の死により政情は不安定となり、外征を止めざるをえなくなり、日本軍は完全に撤退、明への侵攻は終結しました。


朝鮮出兵の敗因は秀吉の寿命

朝鮮出兵は秀吉の晩年ということで、判断力が落ちた秀吉の無謀な計画という意見もあり、これまで朝鮮出兵は失敗というイメージが強かったけれど、改めて調べてみると、そうでもなかった。むしろうまく計画が進んでいたように思えます。

明が参戦して日本軍は苦戦という見かたをする人もいるようですが、苦しかったのは明のほうではないかと。


最初の文禄の役では、対馬を出てから3ヶ月ほどで平壌まで進撃し、朝鮮軍だけではもはや相手にならないほど。明と一時休戦した後の慶長の役も、築城して長期戦に備える準備も着々と進んでいた。

日本軍の思いどおりにはさせまいと、明・朝鮮軍が攻めてきますが、ことごとく返り討ちにし、あとは秀吉が大部隊を連れてくるのを待つのみといった感じでした。


秀吉が亡くなるまでは、軍を引き上げなくてはならないほどの敗戦はなかったので、朝鮮出兵の敗因を強いてあげるとすれば、秀吉の寿命ですかね。


朝鮮出兵について思うこと

当時の日本軍は強かった

文禄の役では朝鮮半島をやすやすと縦断し、漢城(現在のソウル市)の郊外では、明との大規模な戦、碧蹄館の戦いに勝利。

慶長の役では先々のことを考慮し築城をすすめ、明・朝鮮軍が大軍をつぎ込んで三路から攻め込む総力戦を仕掛けてくるも、すべて撃退。

海上では初期に小規模な戦闘で朝鮮水軍に負けることはあったけれど大勢に影響するほどではなく、日本軍が海上戦仕様に武装してからは、朝鮮水軍に多くの損害を与えている。

wikiの情報を見た限りでいえば、戦国時代を経験してきた当時の日本軍は、戦闘という点においては、やっぱり強かったという印象しかありません。


可能性は感じたけど、成就せず良かったとも思う

明の立場でみると内乱と外敵で消耗し、内乱により1644年に滅亡。一時的に「順」という王朝が誕生するも、間もなく満州を支配していた清が制圧し、明に代わり中国一帯を支配していきます。


もしも秀吉の寿命が尽きず、そのまま明へ攻め込むことができていたら、ほんとに明を征服できていたかも・・・なんて、ちょっと思った。


とはいえ、日本には大義名分がなく、地方で反乱が起きることは容易に想像ができる。日本が明に代わって統治しようとするのは、難しかったのではないかと。


いずれ清に攻め込まれ、消耗戦で資金も物資も余裕がなくなっていたら、最悪の場合、李氏朝鮮のように冊封体制に取り込まれていた可能性もある。

そんなことを想像したら、万全を期して明に攻め込む前に、計画が中止になって良かったと思えます。

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