今朝のオンラインニュースでは、海老蔵さんのブログの内容を伝える記事がいくつかあり、会見が開かれるよりも早いお昼前の時間帯ですでに小林麻央さんが死去したとのニュースも出てしまっていたので、なにがあったのかを理解はしていましたが、会見が開かれたことでほんとに小林麻央さんが亡くなってしまったのだな・・・と改めて認識させられました。
発病から今日までの経緯
小林麻央さんが乳がんであることを公表されてから、けっこう長いようにも思えたし、短いようにも感じました。実際はどう年月が過ぎていったのか、整理しておきます。2014年2月
夫婦で人間ドックに行った際、左乳房にがんの疑いが出るも、この段階では五分五分。
2014年10月
小林麻央さん自身が左胸にパチンコ玉のようなしこりがあることに気づき病院へ。検査の結果、乳がんであることを告げられる。
2016年6月
小林麻央が乳がんであることを市川海老蔵が公表する。
2017年5月
4月に再入院していたが5月29日に退院、在宅医療に切り替える。
小林麻央さんが死去するまでに思ったこと
海老蔵さんが公表したのが約1年前。公表されてから毎日のように、夫妻のブログなどがメディアで紹介されてた記憶がなんとなく残っています。お二人のブログを見ることはまったくといっていいほどなかったし、ニュースも小まめにチェックしていたわけではないので、ものすごく他人事のような感覚で、あまり感情移入することもありませんでした。
今にして思えば、悲しい結末となった場合のことも想像し、あえていろいろな情報を知ろうとしなかったのかもしれません。
それでも気になる見出しでニュースが報じられたときなどはたまに見ていて、今年の5月末に退院したというニュースを見たときは、いよいよ危ないのかもしれないという予感めいたものはありました。
それから1ヶ月足らずで帰らぬ人に・・・。
乳がんを告知されてから約2年8ヶ月、34歳という早すぎる死に、自分自身はまったくなんの関わり合いもないけれど、やはり悲しい気持ちになってしまいます。
市川海老蔵の会見で思ったこと
芸能人でも亡くなった場合はすぐには公表せず、近親者で葬儀を済ませ、数日後に発表するケースが多いですから、海老蔵さんも小林麻央さんが亡くなった翌日に会見なんて開かなくても良かったのに・・・と思ったりもしましたが、彼は彼で思うことがあり、決断したのでしょう。もし自分が市川海老蔵の立場だったら、何もかも放り出して逃げ出したい心境になっていたかもしれない。厳しい現実と向き合いながら、それでも前向きに考え、行動する姿勢は誰にでもできることではありません。
そう想像すると、小林麻央さんの結婚相手が市川海老蔵で良かった・・・今はそんな風に思います。